私は映画と結婚した 大女優・田中絹代の晩年や死因!お墓は鎌倉?

日本映画史に残る大女優の一人として今も根強いファンがいる田中絹代さんですが、晩年はあまり恵まれたものではありませんでした。今回は、映画と結婚したという発言も残した大女優の生涯に迫ってみました。

田中絹代のプロフィール!出身地や生い立ちは?

 

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本名:田中絹代
生年月日:1909年11月29日
没年月日:1977年3月21日(67歳没)
出生地:山口県下関市関後地村
主な出演作品:愛染かつら、楢山節考
主な受賞歴:ベルリン国際映画祭銀熊賞、キネマ旬報賞女優賞、毎日映画コンクール女優演技賞、主演女優賞

山口県下関市生まれの田中絹代さんの生家は元々裕福でしたが、6歳の頃には両親の実家がともに破産するという災難に遭います。また、麻疹にかかって学校に行けなくなったり兄が徴兵逃れのために失踪したりといったことが重なり、次第に地元では後ろ指を指される一家となってしまいます。

こうしたことから後見人を頼りに大阪に移住、病気で通えなくなっていた学校にも無事に編入しますが1920年には学校を辞めて琵琶少女歌劇の一員として舞台に立ち始めました。舞台があった楽天地で映画館に出入りし始めたのが女優を志したきっかけで、その頃は子役の高尾光子さんに憧れていたそうです。

1924年7月、兄が働いていた松竹で面接を行いましたが10月には早々に映画デビュー、腰元の役柄でしたが主演の柳さくこさんの後姿の代役も演じていたようです。同じ年に公開された村の牧場では主演に抜擢されたということですから、女優としての才能はデビュー当時から他を圧倒していたのかもしれません。

出世作と言われるのは1927年の恥しい夢で演じた芸者役で、同年には準幹部に昇格、1928年には16本もの映画に出るなど松竹蒲田撮影所の大スター栗島すみ子さんに迫る人気者となりました。

金色夜叉や伊豆の踊子など後年に度々リメイクされる作品や、空前の大ヒットとなり4本の続編が公開された愛染かつらなど戦前に出演した作品も数多く、全てが田中絹代さんの代表作とも言えます。

田中絹代の代表作は?おかあさん等々出演・監督映画を紹介!

 

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田中絹代さんが生涯に出演した映画は250本以上あると言われるうえ、戦前や戦後を通して代表作と言える作品に多数出演しています。ただ誰もが思い浮かべる当たり役として間違いなく上げられるのは、愛染かつらではないでしょうか。

田中絹代さんと上原謙さんが主演を務めたこの作品は1970年代にドラマとしてもリメイクされるなど作品としての評価も高いものです。この他、後年の田中絹代さんの代表作として挙げられるのは、おかあさんと楢山節考です。

楢山節考では美人女優として知られた田中絹代さんが差し歯を4本抜いて老婆を演じたことでも話題になり、キネマ旬報賞女優賞を受賞しています。これ以降は主演ではなく重要な役柄を演じる脇役としての存在感を示すようになりますが、同時に映画監督としての活動も活発に行った時期でもあります。

監督作品として主なものは、京マチ子さんが主役を演じた流転の王妃や恋文などがあります。初めての監督作品となる恋文を撮影した頃、映画監督と言えば男性というのが当然だったため田中絹代さんは日本で二人目の女性映画監督と呼ばれることになりました。