ラジオ「おはパソ」道上洋三の自宅はどこ?アシスタント・息子・うどんについても!

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朝日放送で長寿番組のパーソナリティーを務める道上洋三アナウンサー

朝日放送の長寿番組「おはようパーソナリティ道上洋三です」でパーソナリティーを務める道上洋三アナウンサー。関西地方以外の方でも名前は知っているという方もいるかもしれません。太平洋戦争中に生まれた道上洋三アナウンサーですが、苦労の半生を送ってきたようです。

どのような半生だったのでしょうか?また、家族も有名人ですが、どういう方なのでしょうか。長年活躍されているだけあって、道上洋三アナウンサーには気になる点が多いですよね。今回は道上洋三アナウンサーの幼少期、「おはパソ」でのエピソード、家族についてを中心に徹底的に調べました。

道上洋三アナウンサーのプロフィール!書籍の出版で誕生日がバレた?

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名前:道上洋三(どうじょう ようぞう)
生年月日:1943年3月10日(実際は1942年9月)
出身地:山口県熊毛郡平生町
入社年:1965年
出身大学:日本大学法学部
趣味:ゴルフ、楽器(ピアノ、ギター、ドラム、三味線、尺八)、マラソン、水泳

道上洋三アナウンサーは、戸籍上は生年月日が1943年3月10日ですが、実際は1942年7月ごろに生まれたことがわかっています。2014年7月に出版した『ふたつめの誕生日 〜おはようパーソナリティ道上洋三の「なんで?」〜』にて明らかにしました。

道上洋三アナウンサーは50歳ころから、母親と話す中で自分が生まれた季節が3月ではないということに気付いたそうです。そして母親が亡くなった2002年、母親が書いたと思われる「17年9月洋三誕生」というメモが出てきたということです。当時は太平洋戦争中で混乱期だったことから、何らかの理由で出生届を出さなかったと思われます。

複雑な家庭で育った道上洋三アナウンサー

出生後、父親が太平洋戦争に出征していたことから、5歳まで母親の実家がある広島県甲奴郡上下町で過ごしました。1947年に母親が再婚し一卵性双生児の弟が生まれますが、再婚相手との折り合いが悪く母親は実家に出戻ります。弟たちは養子に行き、道上洋三アナウンサーは母親と山口県熊毛郡平生町に再び戻り、高校を卒業するまで母一人子一人で暮らしていました。

弟たちの存在は知らずに育ち、のちに親戚から知らされたというエピソードもありました。とても複雑な家庭環境だったようですね。

道上洋三アナウンサーは高校時代に陸上で国体に出場し、日本大学に進学してからもハードルで東京オリンピックを目指していました。しかし怪我で陸上部を退部。報道でオリンピックに関わりたいと思うようになり、1965年に朝日放送に入社しました。

75歳になった今でも、朝日放送の取締役を経てエグゼクティブ・アナウンサー、常勤顧問として朝日放送に所属しています。アナウンサーとしてこの年で現役で、毎日生放送をしているのは道上洋三アナウンサーくらいではないでしょうか。

ラジオ「おはパソ」の中でアシスタントとのデュエット曲が大ヒット!

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道上洋三アナウンサーは、1977年から「おはようパーソナリティ道上洋三です」(通称「おはパソ)を担当しています。毎週月曜日から金曜日の6:30から9:00に生放送しており、41年目(2018年現在)を迎える長寿番組です。

1985年、道上洋三アナウンサーは番組アシスタントの唐川満知子さんと「さそわれて大阪」という曲を発売。この曲は4万枚を売り上げましたが、当時としては大ヒットとなり、全日本有線放送大賞新人賞を受賞しました。

「おはパソ」では他にもオリジナルソングが多数あり、CDも発売されています。「さそわれて大阪」は「おはようパーソナリティ道上洋三です 40周年記念ベストアルバム 〜きょうは記念日〜」に収録されていますので、聴いてみてはいかがでしょうか。