立川談志が絶賛!芸人マルセ太郎の猿芸や泥の河のエピソード

マルセ太郎
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パントマイム芸人マルセ太郎がすごい!

パントマイム芸人マルセ太郎をご存知でしょうか??現在の芸人とは一味違う、どこまでも自信の路線を貫く姿勢で、最後の最後まで芸人として、生きたその生き様をここで、紹介したいと思います。みなさんもマルセ太郎に興味を持つ事間違いなしでしょう!

パントマイム芸人マルセ太郎のプロフィール!

マルセ太郎
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1933年12月6日生まれの大阪市出身のパントマイム芸人、俳優、ヴォードヴィリアン、劇作家です。2001年1月22日にお亡くなりになられました。在日朝鮮人二世として、大阪市生野区で生まれたそうです。本名は、金原正周/金均(キム・キュンホン)です。

大阪で高校を卒業し、1954年に上京しました。俳優志望だったそうですが、俳優座養成所の試験に落ちてしまい、完全に落ち込んでしまい、ヒロポン中毒だったそうです。ヒロポンとは覚せい剤で、現在日本では、市販では取り扱われておりません。そんな時、映画「天井桟敷の人々」を見て「パントマイム」というものを知り、パントマイム芸人としての活動を始め出したそうです。

パントマイムを始めたきっかけ!名前の由来はマルセル・マルソーから!

マルセルマルソー
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マルセ太郎がパントマイムを始めたのは、先ほど紹介したようにフランス映画を見たのがきっかけだったそうです。1945年に制作されたフランス映画史上に残ると言われている名作だそうです。その映画に感銘を受け、フランス人のパントマイム・アーティストで「パントマイムの神様」や「沈黙の詩人」と呼ばれた「マルセル・マルソー」から「マルセル・タロー」と名乗ったそうです。

その後、フランス人の芸人と会話するタイミングがあり、その時そのフランス人に「マルセル・マルソー」と発音しても全く通じませんでした。「マルセル・マルソー」の有名な蝶々のパントマイムをしたところ、「おー!マルセマッソー!」と感嘆したのを聞き、「マルセ太郎」と改名しました。それ以来はずっとマルセ太郎として、パントマイム芸人をしていたそうです。

最強のサル芸

マルセ太郎
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マルセ太郎はパントマイム以外にも、浅草の演芸場に出演もしていました。その際に披露していたのが、動物の形態模写だったそうで、その中でも特にサルの形態模写はその迫真力で他を圧倒したそうです。

評論家の「矢野誠一」は「内面的な描写からサルにせまり、本物のサルよりもはるかにサルらしく哀しげだ」と評しました。サルよりもサルらしいというは、一体どんなものなのでしょうか。それほど高く評価されていた事は間違いないでしょう。

また、漫画家の「村上たかし」も、擬人化されたサルが逆にマルセの物まねをする作品を描いており、マルセの真に迫った描写に触れています。

マルセ太郎の娘はどんな人?

マルセ太郎
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マルセ太郎の娘の名前は「金梨花」です。現在父「マルセ太郎」の後を継ぐかのように、トークパフォーマンスで活躍されています。マルセカンパニーの舞台に立たれたり、2年4ヶ月の世界での旅のお話を「動くエッセイ」として発表されてきました。

父親「マルセ太郎」を本当に尊敬しており、その父が行なったスクリーンのない映画館の代表作「泥の河」の上映と共に、その「笑い」の本質に迫る「マルセ喜劇」の会などを開催しました。

現在は、おそらく在日2世精神科医がクリニックに併設した京都の認知症デイケアで介護スタッフとして働きながら、出前ライブに出演しているそうです。

立川談志がタモリを「文明」マルセ太郎を「文化」と絶賛

立川談志
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マルセ太郎の評価は、すこぶる高かった事が分かりました。1966年から現在まで続いている「笑点」を立ち上げた有名落語家「立川談志」は、小さな酒場で行われたマルセの独演会にふらりと現れ、観客の前に立つと前説として、こう言いました。

「テレビでタモリ、たけしを見るのを、これ文明と申します。今夜、これから出てくるマルセ太郎を生で観るのを、文化といいます。みなさん、文化を楽しんでください。どうぞ」

「泥の河」についてのエピソード!

マルセ太郎
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1980年代、日本では漫才ブームだったにも関わらず、マルセ太郎は独自路線での芸を展開し、元々パントマイム芸人や、サル芸など、無言劇を中心に活動をしていたにも関わらず、一本の映画を1人で演じ語り下ろす映画再現芸「スクリーンのない映画館」を確立しました。

舞台装置は木の椅子のみの、まだ誰もしていなかった全く新しいジャンルを開拓させました。パントマイムや物真似芸も取り入れ、芸人マルセ太郎の全てが一体となっているようでした。

マルセ太郎が演じ語り下ろした映画は「泥の河」「花いちもんめ」「ゴッドファーザー」「砂の器」「桟敷の人々」などがあり、その中でも一番有名なのは「泥の河」です。

映画「泥の河」の監督「小栗康平」は、そのマルセ太郎の「泥の河」の映画再現芸がいかにリアルであるかを、映画のシーン再現を含めて語ったそうです。

「泥の河」を絶賛した「永六輔」とのエピソード

そんな「スクリーンのない映画館」を知った日本のラジオ番組パーソナリティ、タレント、随筆家、元放送作家、作詞家の「永六輔」はマルセ太郎に「感激、ただ感激、六輔」と書かれただけの絵ハガキを送り、両者の交友がはじまりました。

永六輔のアドバイスを元に「泥の河」を練り直して映画再現芸「スクリーンのない映画館」として舞台にかけ、その評判は口コミでみるみるうちに広まり、収容観客数200人未満の小劇場「渋谷ジャン・ジャン」での公園は毎回完売となったそうです。

以上、立川談志が絶賛したというマルセ太郎のサル芸や泥の河のエピソードと共に、マルセ太郎について紹介しましたがいかがでしたでしょうか?興味を持った人が多いかと思います。スクリーンのない映画館なんて、想像がつかない!

しかし、それを実行し、しかも満員御礼ですから、それはもう凄かったに違いないです!今はもう直接見ることが出来ませんが、youtubeでマルセ太郎の動画が見れますから、是非一度見てみてはいかがでしょうか??