ムーミンの声優から作家まで!女優・岸田今日子の若い頃〜死因に迫る!

岸田今日子が声優をつとめたムーミン!早逝した岸田森は従弟!

アニメ『ムーミン』の声といえば誰を思い浮かべるでしょうか。1990年版のムーミンは『名探偵コナン』で大人気の高山みなみが声優をつとめているので、そちらのイメージが強いかもしれません。

しかし、1969年には岸田今日子が演じていました。現在ではあまり聞くことができなくなっていますが、50代、60代の人にとっては懐かしい声でしょう。

そんな岸田今日子のプロフィール、故岸田森との関係、作品、私生活について調べてみました。

女優・声優・童話作家!岸田今日子のプロフィール!

名前:岸田今日子(きしだ・きょうこ)
生年月日:1930年4月29日
没年月日:2006年12月17日(76歳没)
出生地:東京都豊多摩郡(現・東京都杉並区)
血液型:A型
職業:女優・声優・童話作家
活動期間:1950年ー2006年
配偶者:仲谷昇(1954年ー1978年)

岸田今日子は劇作家岸田國士の次女として生まれ、舞台美術に興味を抱きますが、文学座での裏方から女優に転向し、20歳(1950年)で舞台デビュー。23歳(1953年)のとき映画デビューし、翌年には同じ文学座の仲谷昇と結婚し妊娠したのですが、仕事の影響で流産してしまいます。

30歳(1960年)で『サロメ』(三島由紀夫演出)で主役に抜擢されてからは数多くの舞台で大役をこなすように。32歳(1962年)のとき、毎日映画コンクールの助演女優賞、翌年には『砂の女』でブルーリボン助演女優賞を受賞し、実力派女優としての地位を確立しました。

33歳(1963年)には文学座を脱退し、舞台、映画、テレビで第一線の女優として活躍します。妖艶な役からユーモラスな役どころもこなし、評価も高く、怪優と賞されることも。テレビでも『男嫌い』(1963年)という大人気ドラマに出演したこともあり、お茶の間での認知度も上がりました。

2度目の妊娠のとき、流産回避のため仕事を断り、38歳(1968年)で長女を出産。俳優としての地位が高くなる一方で、夫の仲谷昇とうまくいかなくなり48歳(1978年)のとき離婚し、娘と2人の生活が始まりました。

俳優としてだけでなく『ムーミン』の声優、童話作家、児童文学の翻訳など幅広い分野で活躍していました。

「ムーミン」の声優!岸田今日子の出演作品は?朗読でも活躍!

岸田今日子の『ムーミン』は1人娘のためだった

ムーミンのキャラクターはどこかで必ず見たことがあるはず。トーベ・ヤンソン原作のテレビアニメ『ムーミン』は1969年、1972年に放送され、丸いフォルム、不思議な世界観で当時の子供たちを喜ばせました。そして主人公であるムーミン・トロールを演じたのが岸田今日子でした。

そもそもなぜ子供向けのアニメの声優を演じたのか、それは1人娘、岸田まゆ(現在は西條まゆ)のためでした。娘に対し自分の仕事を分かってもらおうと、収録する際には必ず娘を連れて行ったそう。

また児童文学、童話にも造形が深かったため、幼児でも楽しめる舞台を企画したり、詩の朗読に参加しました。岸田今日子の姉、岸田衿子(1929ー2011)も詩人、童話作家として活躍しており、岸田今日子も児童文学の翻訳、エッセイなども手がけ、マルチな才能を発揮しました。

岸田今日子の代表的な出演作品

岸田今日子は多くの作品に関わってきたため、書ききれないのですが、代表的なものを年表で紹介します。

テレビドラマ

1983年:大奥
1985年:少女に何が起ったか
2003年:ぼくの魔法使い
2004年:相棒・犬神家の一族
2005年:あいのうた

映画

1964年:卍(まんじ)
1976年:犬神家の一族
1982年:この子の七つのお祝いに
1983年:探偵物語
1986年:海と毒薬
2005年:同じ月を見ている

舞台

1950年から1962年までは文学座の舞台へ出演
1978年から2005年までは演劇集団円の舞台へ出演

そのほかにもラジオドラマ、テレビアニメは『ムーミン』以外にもナレーションをつとめています。劇場アニメの声優、吹き替え、バラエティ番組と亡くなる前年まで精力的に仕事をこなしました。

岸田今日子と岸田森の関係は?

岸田今日子は身内に著名な人物が多く、岸田森もその1人でした。岸田森は従弟で、同じ俳優をしていたこともあり、親交があったようです。画像を見るとどこか岸田今日子と似ていますね。

独特な雰囲気を持つ俳優で、水谷豊、松田優作、萩原健一らから慕われていました。萩原健一が主役をつとめた『傷だらけの天使』(1974年)には岸田今日子とともに岸田森も出演していました。

岸田森の魅力に惹きつけられていた芸能人も多く、勝新太郎もその1人でした。勝新太郎の主宰した俳優育成学校にて講師をつとめたことも。そのことに対して岸田今日子は「森ちゃんは教え好き」と語っていたそうです。

無口で思慮深い役が多かった彼ですが、実際はとても寂しがりで、おしゃべり好きだったようです。残念ながら食道がんのため43歳という若さで亡くなってしまいました。

岸田今日子の若い頃は?

 

岸田今日子は20歳で女優に転向し、23歳で映画デビューと若い頃から多くの作品に出演していたのですが、女優になったのは父親が劇作家であったことのほか、母親も関係していたようです。

母親が亡くなったときに日記があり、そこに「私の芸術のつぼみはいつか花咲くのだろうか」という一文を見つけ、その言葉が岸田今日子の心の中で大きな影響を与えました。岸田今日子はその言葉で演じる、歌う、朗読する、童話などを書くなどさまざまな芸術に携わっていったのです。

また、少女のころから自分自身を変わっていると回想しており、幼稚園に行かず空想にふけり、小学校では勉強についていけなかったそうです。割り算についても「数が割れるなんて不思議でしょうがなかった」と語っています。

若い頃は多くの作品に関わっていたためか多忙で、私生活には変化が訪れます。同じ俳優だった夫の仲谷昇とはおしどり夫婦と言われていましたが、娘に「おとうさんとおかあさんは仲が悪いの?」と尋ねられ、もう嘘をつくのはやめようと決意したそうです。

岸田今日子の娘はどんな人?

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岸田今日子の娘は西條まゆ(旧岸田まゆ)といい、現在は50歳になっています。西條という名前は岸田今日子が亡くなったときに喪主をつとめたことで分かっていますが、現在何をしているのか、家族構成などは分かっていません。

岸田今日子は仕事が忙しいながらも、まゆさんをとても大切に思っていたのだろうと想像できます。この画像は1972年に発売されたアルバムなのですが、岸田今日子と一緒に映っているのが3歳ころのまゆさんです。

岸田今日子の歌だけでなく、まゆさんとの歌ややりとりが入っているCDで、録音機を自宅に持ってきて録ったそうです。幸せそうな雰囲気が感じ取れる内容になっているためか、Amazonでの評価もとてもいいです。

まゆさんにとっては母親である岸田今日子との思い出、また、自分の3歳のころの思い出という大事なアルバムになっているのではないでしょうか。

岸田今日子の死因は?

岸田今日子の死因は脳腫瘍による呼吸不全でした。2006年1月に脳腫瘍と分かり入院していました。

しかし前年まで精力的に仕事をつとめており、岸田今日子がつとめるはずだった『ミス・マープルシリーズ』のミス・マープル、『犬神家の一族』の琴の師匠役は草笛光子が引き継ぎました。

独特な雰囲気や声、そういう不思議な魅力を持ち人気も高かった岸田今日子の作品は、今でもDVDなどや再放送で見ることができます。

私のおすすめは吹き替えになりますが『刑事コロンボ』シリーズの「ロンドンの傘」です。岸田今日子はそこで大女優の役を演じています。声にとても艶があり魅力的です。